”多様性”の呼び水はどこにある?

 

f:id:Umetaro:20200707040004p:plain

Source: BMC, In the Light of Evolution
社会にとって”多様性”を確保するというのは、様々な目的のもと、求められていることと思われます。この目的はしっかりと分けて考える必要があるかと思いますが、個人的に分類をするとすれば、①本人の自由・権利の確保、②集団にとってのパフォーマンス向上、③変化に対するレジリエンスの向上、の概ねどれかに当てはまってくるのではないでしょうか。
 
 
パフォーマンスやレジリエンスを考える上で、”進化論”は時に面白い示唆を示してくれるように感じています。先日、読んでいた「進化のからくり」(著:千葉聡氏、講談社)の中で、面白い一節があり、深い意味を与えてくれてるように感じていたので、少しここに書き記していきたいと思います。
 
進化に関わるプロセスの中で、重要なものは、”突然変異”、”自然選択”、”遺伝的浮動”と言われています。突然変異とは、DNAの塩基配列の複製過程で偶然生じたエラー(コピーのミス)がそのまま次の代に引き継がれることです。ただし、DNAが変異しても必ずしも形質(生物の姿や機能)に影響が小さいものもあります。影響が出たものの多くは、その生物が生きる状況下で、不利な可能性の方が高いため、結果的には、自然選択によって淘汰されることの方が多いでしょう。ただ、その影響が致命的で無い場合には、そのまま子孫を残すところまでつながる可能性があります。
 
ここで、自然選択の強さ、つまり、その生物が生きる外部の環境が、非常に強い自然選択が働いた場合は、突然変異は致命傷に繋がってしまうケースが多くなってしまう。つまり、多様性は広がらない。一方で、自然選択が弱い場合は、多少の変異が致命傷にならず、子孫を残すことができる可能性を引き上げます。つまり、生物の多様性が広がってくると言えるのです。もう一つ、種が多様になる時があるという。それは、変化が激しい時です。変化が激しい時は、生物がもつ性質が時に不利にもなり、有利にもなる、というような場合は、変異したタイプがその中で勝ち残る可能性を引き上げるからです。
 
多様性が広まる時の、この二つの状況、つまり、①自然選択が弱い、か、②環境変化が激しい、というのは人間社会の中でも同様にものごとを考えることができるようにも感じます。例えば、組織や社会で、一つの方向へのパフォーマンスが生き残りの条件になっているとすれば、多様性の確保に対してはネガティブに働くでしょう。逆もしかり。また、時代を経るにつれて、変化が激しくなっているように見えるのは私だけでは無いように思います。こうした環境下では、様々なタイプの人が活躍を可能とするはずですので、そこで、集団としての多様性が意味を持つのでしょう。