システムシンキングから見た”進化”

もう10年以上も前だが、日本で大学生だった時に生物学を学んでいた。その中で、”進化論”の講義がとても面白かったことが思い出される。

 

進化論とは? 強いヤツが残るのではない。生き残るヤツは意外とフワフワしている

進化の中で残るものは、「強者」では無く、あくまでその環境の中で「上手くやり過ごすこと」ができた者が生き残ってきた、というのだ。それを指して、教授は、”何となく漂うように、フワフワしてるヤツが生き残っていくのです”、とにこやかに言っていた。当時、何かとても深いことを暗示しているようにも聞こえた。

 

この話を、やや極端ながら上手く示してくれる例えを引くとすると、“恐竜”と“滅ばなかった小動物”だろう。わざわざ書き綴るほどのことではないかもしれないが、恐竜は、その時代の弱肉強食のヒエラルキーのトップにいた。彼らの基本的な形質は、身体を巨大化し、その一部である筋肉・爪・歯などを凶器に変え、他の動物を捕食し、その時代に支配的な存在になったように見えた(し、事実、そうだろう。彼らが君臨した時代は1.6億年だそうだ。)。

 

彼らにとって強さは、同時に、環境変化に対して、致命的な弱みにもなった。隕石衝突(原因は諸説あるが)にともなって、気温の低下と食物連鎖が崩れた。数メートルを超える身体をもつ恐竜は、大きすぎるために体温維持ができなくなる。ないしは、十分な捕食ができずに滅んでいった。その変化の過程を、生き抜いくことができたのは彼らでは無かった。むしろ、比較的小型の動物たちが残ることになったのだ。こうした動物たちは、恐竜がいた時代に、最強だったわけではなく、他の動物や恐竜に捕食されながらも、その種、全体として生きながらえてきた。ただ、その半端ながら、環境変化の中でも問題が無い形態によって、隕石の衝突後の新しい環境下でも、長らく生き残ることができたのである。

 

この話は、必ずしも、一つの生態系(=システム)で強力だったものが、新しいシステムで強いわけではないという良い例だろうし、両方の生態系で生き続けるものは、案外、必ずしも強くは無かった存在だった、というのも面白い点だろう。

 

 

社会システムはどう進化する? 必ずしも直線的な変化ではない

ある時代に、支配的だったシステムが、環境変化によって、新しいシステムに遷移していく、という点で面白い機械がある。車である。もう半年も前の講義になるが、1900年までの自動車のエネルギー源は何だったか?という問いの答えは、”電気”だった(40%:電気、38%:蒸気、22%:ガソリン)。

 

その後の変化は、我々の知っている通りである。少し補足を続けると、電気自動者は、航続距離が十分に確保でき無かったが、操作が簡便で排気ガスが少なく静かであったため、この時代、支持されていた。その後、フォードが安価なガソリン使用のエンジンを開発し、さらにその操作性が上がったために、ガソリン車が市場を席捲していくこととなる。その後、何度も電気自動車への注目は集まってきたが、必ずしもマーケットを支配することは無かった。21世紀以降、その風向きが変わってきているのは承知の通りである。ハイブリッドカープリウスが人気を博し、テスラ自動車の電気自動車は脚光を集め、先日、トヨタ自動車の株価を抜くにいたっている。他の自動車各社も、電気自動車の開発を進めており、これから数十年も経てば、電気が自動車のエネルギー源となっていることは想像可能なレベルになってきた。この背景は、20世紀後半以降、排ガス問題や地球温暖化への対処が自動車が業界に求められるようになり、エネルギー源への圧力が変化したことだ。

 

システムが直線的に変化すると、”電気”から”ガソリン”への変化は、絶対的な”進歩”であったはずだ、だが、こうした見方が常に正しいわけではないことをこの例は示してくれる。進化とは時に、外部からの要請によって形を変え、結果として、”曲がりくねる”、ことがあるのだ。

 

 

f:id:Umetaro:20200629093349p:plain

Souce: Doug Balfour (2016). Find a Systems Entrepreneur

システムは簡単に動かない。だから、じっくりと腰を据える必要がある

複雑性の高いものごとをどのように変えていくのか、に対しては、システム全体を眺めて、どういった力が支配的に働いているかを観察することが重要なのだろう。つまり、そのシステムがどのような要素によって構成されていて、それぞれの力学関係がどうなっているかを知ることによって、未来を変えていくヒントが見えてくるのだ。

 

先の例であれば、フォードの大量生産が可能になった(ないしは、彼らがガソリンを選んだこと)が重要な分岐点として、巨大なシステムが構築されていく。周囲のシステムはこの力を補完しうるように働き、性能を担保する技術が発展し続け、部品は十分に供給され、ガソリンが確保でき、その補給インフラが整い、人々がその変化を受け入れ、法整備が整っていく、という様々な状況がこれを支えている。

 

その状況から、電気に戻していく、には10年や20年でも足りなかった。初めて、地球温暖化が大きく取り上げられたのは、1980年前後である。そこから、地球温暖化への科学的な理解が進み、政治的に理解され、人々がそれを受け入れ、技術的な障壁を乗り越え、経済的に選択できる選択肢、となって、電気自動車への注目がこれだけ高まっていると言っても良いのだろう。システムを動かす、というのは大作業なのだ。

 

何かを変えたいならば、時にこれだけの下準備のもとで動かしていかねばならない、その下準備抜きには、起こせない変化がある、ということを忘れてはならないのだろう。今の時代、そうした下準備がどこかないがしろにされて、すぐに結果が出そうなことに飛びついているケースが多いように見えてならない。それらはシステムを動かすのではなく、目の前で少しだけの変化を起こし、既存のシステムに飲み込まれる、ただの徒労であることが多いにもかかわらず。