”多様性”の呼び水はどこにある?

 

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Source: BMC, In the Light of Evolution
社会にとって”多様性”を確保するというのは、様々な目的のもと、求められていることと思われます。この目的はしっかりと分けて考える必要があるかと思いますが、個人的に分類をするとすれば、①本人の自由・権利の確保、②集団にとってのパフォーマンス向上、③変化に対するレジリエンスの向上、の概ねどれかに当てはまってくるのではないでしょうか。
 
 
パフォーマンスやレジリエンスを考える上で、”進化論”は時に面白い示唆を示してくれるように感じています。先日、読んでいた「進化のからくり」(著:千葉聡氏、講談社)の中で、面白い一節があり、深い意味を与えてくれてるように感じていたので、少しここに書き記していきたいと思います。
 
進化に関わるプロセスの中で、重要なものは、”突然変異”、”自然選択”、”遺伝的浮動”と言われています。突然変異とは、DNAの塩基配列の複製過程で偶然生じたエラー(コピーのミス)がそのまま次の代に引き継がれることです。ただし、DNAが変異しても必ずしも形質(生物の姿や機能)に影響が小さいものもあります。影響が出たものの多くは、その生物が生きる状況下で、不利な可能性の方が高いため、結果的には、自然選択によって淘汰されることの方が多いでしょう。ただ、その影響が致命的で無い場合には、そのまま子孫を残すところまでつながる可能性があります。
 
ここで、自然選択の強さ、つまり、その生物が生きる外部の環境が、非常に強い自然選択が働いた場合は、突然変異は致命傷に繋がってしまうケースが多くなってしまう。つまり、多様性は広がらない。一方で、自然選択が弱い場合は、多少の変異が致命傷にならず、子孫を残すことができる可能性を引き上げます。つまり、生物の多様性が広がってくると言えるのです。もう一つ、種が多様になる時があるという。それは、変化が激しい時です。変化が激しい時は、生物がもつ性質が時に不利にもなり、有利にもなる、というような場合は、変異したタイプがその中で勝ち残る可能性を引き上げるからです。
 
多様性が広まる時の、この二つの状況、つまり、①自然選択が弱い、か、②環境変化が激しい、というのは人間社会の中でも同様にものごとを考えることができるようにも感じます。例えば、組織や社会で、一つの方向へのパフォーマンスが生き残りの条件になっているとすれば、多様性の確保に対してはネガティブに働くでしょう。逆もしかり。また、時代を経るにつれて、変化が激しくなっているように見えるのは私だけでは無いように思います。こうした環境下では、様々なタイプの人が活躍を可能とするはずですので、そこで、集団としての多様性が意味を持つのでしょう。

システムシンキングから見た”進化”

もう10年以上も前だが、日本で大学生だった時に生物学を学んでいた。その中で、”進化論”の講義がとても面白かったことが思い出される。

 

進化論とは? 強いヤツが残るのではない。生き残るヤツは意外とフワフワしている

進化の中で残るものは、「強者」では無く、あくまでその環境の中で「上手くやり過ごすこと」ができた者が生き残ってきた、というのだ。それを指して、教授は、”何となく漂うように、フワフワしてるヤツが生き残っていくのです”、とにこやかに言っていた。当時、何かとても深いことを暗示しているようにも聞こえた。

 

この話を、やや極端ながら上手く示してくれる例えを引くとすると、“恐竜”と“滅ばなかった小動物”だろう。わざわざ書き綴るほどのことではないかもしれないが、恐竜は、その時代の弱肉強食のヒエラルキーのトップにいた。彼らの基本的な形質は、身体を巨大化し、その一部である筋肉・爪・歯などを凶器に変え、他の動物を捕食し、その時代に支配的な存在になったように見えた(し、事実、そうだろう。彼らが君臨した時代は1.6億年だそうだ。)。

 

彼らにとって強さは、同時に、環境変化に対して、致命的な弱みにもなった。隕石衝突(原因は諸説あるが)にともなって、気温の低下と食物連鎖が崩れた。数メートルを超える身体をもつ恐竜は、大きすぎるために体温維持ができなくなる。ないしは、十分な捕食ができずに滅んでいった。その変化の過程を、生き抜いくことができたのは彼らでは無かった。むしろ、比較的小型の動物たちが残ることになったのだ。こうした動物たちは、恐竜がいた時代に、最強だったわけではなく、他の動物や恐竜に捕食されながらも、その種、全体として生きながらえてきた。ただ、その半端ながら、環境変化の中でも問題が無い形態によって、隕石の衝突後の新しい環境下でも、長らく生き残ることができたのである。

 

この話は、必ずしも、一つの生態系(=システム)で強力だったものが、新しいシステムで強いわけではないという良い例だろうし、両方の生態系で生き続けるものは、案外、必ずしも強くは無かった存在だった、というのも面白い点だろう。

 

 

社会システムはどう進化する? 必ずしも直線的な変化ではない

ある時代に、支配的だったシステムが、環境変化によって、新しいシステムに遷移していく、という点で面白い機械がある。車である。もう半年も前の講義になるが、1900年までの自動車のエネルギー源は何だったか?という問いの答えは、”電気”だった(40%:電気、38%:蒸気、22%:ガソリン)。

 

その後の変化は、我々の知っている通りである。少し補足を続けると、電気自動者は、航続距離が十分に確保でき無かったが、操作が簡便で排気ガスが少なく静かであったため、この時代、支持されていた。その後、フォードが安価なガソリン使用のエンジンを開発し、さらにその操作性が上がったために、ガソリン車が市場を席捲していくこととなる。その後、何度も電気自動車への注目は集まってきたが、必ずしもマーケットを支配することは無かった。21世紀以降、その風向きが変わってきているのは承知の通りである。ハイブリッドカープリウスが人気を博し、テスラ自動車の電気自動車は脚光を集め、先日、トヨタ自動車の株価を抜くにいたっている。他の自動車各社も、電気自動車の開発を進めており、これから数十年も経てば、電気が自動車のエネルギー源となっていることは想像可能なレベルになってきた。この背景は、20世紀後半以降、排ガス問題や地球温暖化への対処が自動車が業界に求められるようになり、エネルギー源への圧力が変化したことだ。

 

システムが直線的に変化すると、”電気”から”ガソリン”への変化は、絶対的な”進歩”であったはずだ、だが、こうした見方が常に正しいわけではないことをこの例は示してくれる。進化とは時に、外部からの要請によって形を変え、結果として、”曲がりくねる”、ことがあるのだ。

 

 

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Souce: Doug Balfour (2016). Find a Systems Entrepreneur

システムは簡単に動かない。だから、じっくりと腰を据える必要がある

複雑性の高いものごとをどのように変えていくのか、に対しては、システム全体を眺めて、どういった力が支配的に働いているかを観察することが重要なのだろう。つまり、そのシステムがどのような要素によって構成されていて、それぞれの力学関係がどうなっているかを知ることによって、未来を変えていくヒントが見えてくるのだ。

 

先の例であれば、フォードの大量生産が可能になった(ないしは、彼らがガソリンを選んだこと)が重要な分岐点として、巨大なシステムが構築されていく。周囲のシステムはこの力を補完しうるように働き、性能を担保する技術が発展し続け、部品は十分に供給され、ガソリンが確保でき、その補給インフラが整い、人々がその変化を受け入れ、法整備が整っていく、という様々な状況がこれを支えている。

 

その状況から、電気に戻していく、には10年や20年でも足りなかった。初めて、地球温暖化が大きく取り上げられたのは、1980年前後である。そこから、地球温暖化への科学的な理解が進み、政治的に理解され、人々がそれを受け入れ、技術的な障壁を乗り越え、経済的に選択できる選択肢、となって、電気自動車への注目がこれだけ高まっていると言っても良いのだろう。システムを動かす、というのは大作業なのだ。

 

何かを変えたいならば、時にこれだけの下準備のもとで動かしていかねばならない、その下準備抜きには、起こせない変化がある、ということを忘れてはならないのだろう。今の時代、そうした下準備がどこかないがしろにされて、すぐに結果が出そうなことに飛びついているケースが多いように見えてならない。それらはシステムを動かすのではなく、目の前で少しだけの変化を起こし、既存のシステムに飲み込まれる、ただの徒労であることが多いにもかかわらず。

 

ロジカルシンキングから見た”システムシンキング”の見え方

ロジカルシンキングが相応に浸透し、かつ、それだけでは解けないことが多くあることに気づいたためだろうか、ここ数年、ビジネスマン向けの本の中でも新しい考え方のアプローチを謳った言葉を耳にするようになった。その代表格は、デザイナーの思考スタイルを学ぶことで発展した”デザインシンキング”だろうし、また、自然現象や戦争をより深く理解しようとして発展した”システムシンキンング”だろう。

 

私の通うUCLのInstitute of Innovation and Public Purposeは、経済学の観点から”合理主義”(いわゆる合理的な個人 - Homo Economicus)の限界を主張している研究機関でもあり、新しい思考スタイルの吸収を積極的に試そうとしているためだろう、システムシンキングは全授業の第1週目にあたるタイミングで講義があり、デザインシンキングは一つのモジュールとして全10回程度の授業を受けることとなった。こちらの吸収力の問題を横に置いて言うとすれば、どちらの講義も、実践的なフレームワークに落とし込まれるところまで到達していないように見え、悪く言えば輪郭のはっきりしない、良く言えばまさに発展を遂げている(実践的なフレームに落とし込まれるということは陳腐化が始まったと同義と捉えられるので)、といった内容であった。

 

日本にいるときにも、デザインシンキングもシステムシンキングもよく耳にしてきたし、何度か概要を調べたり、軽めの本を読んだりはしてきている。なので、全く無知というわけではなかったが、未だもやもやしているので、今一度立ち止まって、まずはシステムシンキングに関して、有益だった内容を整理するとともに、いくつかの疑問に答え直してみようと思う。

 

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Source: Intergalactico (2018), Is systems thinking the new design thinking?


システムシンキングとは?
システムシンキングとは、突き詰めれば、”循環関係”を起点にした考え方である。銀行にお金を預けて金利によってお金が増えていく、といったことを思い浮かべて頂ければよい。預金額が増えれば利子が増え、利子が増えればそれだけ預金額も増え続ける。こういった関係をものごとの中で見出し、的確に状況を把握していこうというアプローチだ。我々の日常的な言葉でも、好循環・悪循環といった一方向に強化される形で進む循環は想像するにたやすい。

 

世の中の状況はもう少し複雑なことが多く、これとは質的に異なる”循環関係”がいくつも存在する。例えば、ウサギの繁殖を考えるとして、ウサギのつがいが子供を3匹以上生み・育て続ける、と加速度的に数が増え続け地球を覆いつくすことになる。ただ、そんなことは実際には起こらない。他の制約条件によって、この循環自体が抑制されるからだ。例えば、他の動物に捕食されるとすると、ウサギのつがいが3匹以上を次の世代まで繋ぎ続けることができないため、ウサギの量はいずれ、一定の量で落ち着くことになる。ここには他の循環関係が存在しており、ウサギの量が増えてくると天敵に見つかり、捕食されるケースが増えて、増殖し続ける循環を抑制するのだ。他にも、いくつか典型的なパターンはあり、「実践システム・シンキング」(著:湊宣明氏)に紹介されていたMITのJohn D. Sterman(2000年)が示した6つの類型などは、その理解に役に立つが、ここでの説明はここでまでにしようと思う。


ロジカルシンキングとの違いは何か?

システムシンキングで特徴的なことを、ロジカルシンキングとの比較を意識しながら抽出するとすれば、
 1.要素”間”の与え合う影響についての考慮
 2.”結果”も要素の一部
 3.”時間軸”の存在(やや長め)

といった点が大きそうだ。先のウサギの例で言えば、ウサギと捕食者、ウサギと次世代のウサギといった”関係”を捉えつつ、“結果”指標であるウサギの数は変化し続けるウサギの数に大きく依存し、そもそも世代を超えるような長いスパンで“時間”を捉えようとしている、といった点が対応する

 

ロジカルシンキングとは決定的に異なるのか?
私が常々思っていたことは、ロジカルシンキングにはこうした機能が無いのか?といったことだ。えてして、システムシンキングの提唱者は、ロジカルシンキングと比較した場合の革新性を謳おうとするので、あたかもロジカルシンキングには無い機能のように説明がなされてしまうため、私は途中で理解ができなくなってしまう。ただ、個人的な結論としては、ロジカルシンキング(従来型のやり方)でも当然ながら、上記を補足しているケースは多い。ただ、得意不得意で言うとシステムシンキングの方が得意といった感じだと思われる。

 

例えば、ロジカルシンキングの基本的なスタイルは分類する、まさに、その分類の際に、できる限り、分けられた要素はお互い関係が薄いものになるように分類することが多い。意図的に、考慮がわずらわしい要素間の関係を断つことで思考をシンプルにしている。システムシンキングの一つの特徴として結果を要素として捉えると記載したが、ロジカルシンキングでは、結果は要素を積み上げて出来上がると捉えられているケースが多い。また、ロジカルシンキングは時間軸を意図的に分けていないため、時間依存的な問題を、時間の観念を忘れて分析しがちな傾向がある。

 

 1.要素”間”の与え合う影響についての考慮

  → ロジカルシンキングでは、要素に注目。要素”間”は抜け落ちがち
 2.”結果”も要素の一部

  → 要素に組み込まない
 3.”時間軸”の存在(やや長め)

  → 時間を意識的に分けることはない。意識する場合もやや短め

 

とはいえ、ロジカルシンキングでも、時に、要素間の関係が重要なことに気づけば、それを補足する形で議論を発展させているケースも多いし、明示的では無くとも結果のもたらす影響は多くの場合加味されている。当然、時間軸が考慮されていないということは無い。要は、軸足がどちらにあるか、の問題と捉えておいた方が良い。

 

使い分けはどう考えるか?

一方で、システムシンキングはその要素”間”の関係性、結果の影響、時間軸を、中心的な命題として捉えようとしている。そのため、これらを注視したい時には、システムシンキング的な分析アプローチが良いと言えるのだろう。

 

ただ、冒頭で、ロジカルシンキングの対抗馬のような書きぶりでスタートさせたが、システムシンキングを正しくできるようになるためには、あくまでロジカルシンキングが必要であり、むしろ、ロジカルシンキングが捉えにくい命題を捉えるのに、システムシンキングが役に立つ、といった捉え方の方が個人的にはしっくりくる

グラスゴーが与えた日本への贈り物 ”エンジニアの思想” 

ここのところ修士論文の一貫としてグラスゴー流域の状況を眺めている。一方、食事などの時間を使って、日本の近代を追いかける、という趣味が肥大化を続けている。(と言っても、NHKの関連番組を見ているだけだが。)先日、たまたま、グラスゴーと日本を結びつける面白い人物が目に飛び込んでて、思わず記憶に留めておきたくなった(「明治」 第二集 模倣と独走~外国人が見た日本~ 2005.4.16より)。

 

Henry Dyer(ヘンリー・ダイヤー)というグラスゴー大学出身者であるが、東京大学工学部の前身である工部省工学寮工学校の初代教頭を務めた人物である。教頭の期間は、1873年から1882年と、およそ10年間に及んでおり、彼の指導のもとで多くのエンジニアが育っていったこと、彼が大学に残したその思想、を思えば、貢献は計り知れない。

 

現在のグラスゴースコットランド(Source: Glasgow Tourism and Visitor Plan

 

彼は、当時グラスゴー大学で学業を勤しむ中、25歳の頃、日本お抱え教師の打診を受けている。当時、彼の指導教官であった William John Macquorn Rankine(ウィリアム・ランキン)は、グラスゴー大学内で、科学(サイエンス)分野に対して、工学(エンジニアリング)分野が十分にその価値を認められていなかったため、工学部設立に向けて奔走していた。日本にも伝えた、エンジニアが社会を変革を推し進める旗手になる、という”エンジニアの思想”は、ランキンから受け継いだものとも言われている。この思想は、造船業で繁栄を極めたグラスゴーのもとで培われた考え方だろうことを思うと、地域が創り出す思想の面白さを感じてしまう。

ダイヤーがみた日本人に対する評価(当時の日本最優秀の学生達なのだろう)は現代にも通じるもので非常に面白い。彼は、こう記している。” 日本の学生は、何でも本から学ぼうとし、それよりもはるかに大切な観察と経験を疎かにする傾向がある。として、” 工学に携わる人は、どんなに立派な理論を知っていても、知識だけの人にはなってはいけないし、また、どんなに器用でも、無知であってはならない。”としている。

 

偉大な考察・思想であるとともに、これをもとに、工学寮工学校でのカリキュラムの中に、1年間に渡る実技期間を組み入れ、知識・理論のみではなく、”身体”(実践、観察を伴うもの)が組み込まれることとしたとされている。

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ヘンリー・ダイヤー写真  (Source: The University of Glasgow )

彼の薫陶を受けた生徒の一人に、琵琶湖疎水を設計・施工した田邊朔郎がいる。彼は、後に日本初とされ当時世界でも最先端であった水力発電所の建設などを果たすなど、日本の土木工学へ多大なる貢献を果たしている。彼が工部省工学寮工学校の卒業論文として、記した琵琶湖疎水計画は、そのまま実現に至るのだが、日本にとって経験の無かった、2,400mに及ぶ直進の掘削を必要とし、それは当時、銀鉱山などで用いられていた掘削技術を超えるものであった。そのため、地下へと続く竪穴の坑道を作る工夫などが取り入れられ、最終的には日本人のみによって完成まで至ったとのこと。

 

ダイヤーが残している彼の言葉が紹介されていたが、日本人にとってはとても誇らしい。

”これまでさんざん言い古されてきた、「日本人は非常にモノマネが巧みだが、独創性もなければ偉大なことを成し遂げる忍耐力もない」といった見方は、余りにも時代遅れというものである。” (大日本 ―技術立国日本の恩人が描いた明治日本の実像 ヘンリー・ダイヤー

ここから日本全体を推測することなどできないが、当時から日本人の中にあった不思議な力というものに、気づかされるかもしれない。未だに日本の製造業の中で息づく現場主義という考え方は、彼が残した”エンジニアの思想”の香りを未だに残しているものかもしれない。 

 

 

威風堂々たる城の町、Arundel(アランデル)

Arundel(アランデル)という町を訪れました。ロンドンからサザン鉄道を使って、1時間半ほどの場所にある小さな町です。Arundelは1067年に建てられたArundel Castleと1867年に建てられたRoman Catholic Cathedralが町のシンボルとなっています。

 

最寄りのArundel駅から徒歩10分ほどの場所に町がありますが、遠くからもこの二つの堂々たる姿は捉えられます。特にArundel Castleは、壮観と言うに相応しい雰囲気を誇っています。この城は、間にCivil Warをはさみつつも、ノーフォーク公(Lord of Norfolk)によって長らく所有され、修繕を繰り返してきています。

 

谷間の斜面にできたこの町は、傾斜はややあるものの2時間あればほぼ歩ききれるほど小さいながらも、今も昔の雰囲気を残しておりとても綺麗な街並みです。ロンドンから日帰りするにも、Portsmouth(ポーツマス)などの南側の地域から一足立ち寄るのにもとても良い場所です。

 

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Arundel, West Sussex
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高原の薫りのする小さな町、Marlow(マーロー)

ロンドンから離れていない、小さな町Marlowを巡ってみることにしました。ロンドンから1時間と少し、西北に位置するBuckinghamshireの一つの群にあたります。Tames River沿いに栄えており、その少し下流には英国王室の城がそびえるWindsorがあります。川沿いの伸びやかな景観、騒々しさの無い通りは、高原では無いが、日本で言うところの河口湖などに近い印象を残しています。

 

町のシンボルとなる教会All Saints Churchは川沿いにあり、やや控えめに町を見守っています。川を渡す吊り橋は、もう一つのランドマークでもあり、1832年に William Tierney Clarkが手掛けたものです。もともとこの場所には、木製の橋がEdward IIIの領だった時代から架かっていたと言われています。なお、この橋はブダペストのブダ側とペスト側を繋げる橋Elisabeth Bridgeのモデルにもなっているようです。

 

さらに、街中にはミシュランの星をパブとして初めて取得した二つ星のThe Hand & Flowers、またその後一つ星を取得したThe Coachがあり、十分に食欲を満たしてくれる。川沿いにはいくつかのリゾートホテルがあり、ゆっくり過ごすにも便利です。

 

ロンドンからの日帰り、1泊のショートステイどちらでもお勧めできるような素敵な町です。

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Marlow Bridge

High St, Marlow SL7 1RG 

ロンドン、Paddignton駅から約1時間

ロンドン西部最大規模、1km路上店舗が続く、ポルトベッロ・マーケット

ロンドンの街歩き #1 20190921

相変わらず、Airbnb生活を送っていて、未だに定住先が無くて色々困っています。一番困っているのは、銀行口座が開けないこと。会社からのポンドの現金振り込みがずっとなく、クレジットカードを切って、微妙に為替手数料を取られ続けています。笑

さておき、今日は、そのAirbnbのオーナーから強く推奨されて、Notting Hill Gate駅の北側で開催されているPortbello Marketを訪れてきました。

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Notting Hill(ノッティングヒルと言った方が馴染みが持てますね)は、MayfairやBelgraviaと言われる古くからの高級住宅地が手狭になってきたために、開発された住宅地のようです。上手く高級住宅街化した部分とそうでない部分が混在しているようですが、マーケットは土曜日ということもあって相当な賑わいを見せていました。様々な骨董品、装飾品、衣服・革製品、雑貨銀食器、古びたカメラ、果ては象牙で出来たカミソリ・虫眼鏡と何でもありなマーケットです。相当な掘り出し物もあるようで、ここで取引されて世界中に出回っていくものもあるとのことです。

また、少し歩くとHolland Parkと言われる大きな公園があります。南には高級住宅地のKensintonも広がっており、その周辺の方々を含めて多くの人たちが、ゆっくりと過ごしています。やや外れますが、ロンドンは特に冬に日照時間が少なくなり、天気も不安定なため、晴れの日には外に出ることを好むようで、パブやオープンカフェは外が人気です。

Kensinton streetを歩いていて、たまたまJapan Houseと呼ばれるお店を見つけましたが、これが非常に面白かったです。

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この店(写真のお店)、どうやら、ロサンゼルスとサンパウロにもある模様。もちろん、日本人によって運営がされているようで、その趣旨は、「世界を豊かにする日本」として表現・発信をすることとしています。

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日本のデザインをこのように並べられると、日本デザインは、どこか、”簡素さ”を追求したところに美を求めているようにも見えます。ある種の、”機能美”、”そぎ落とすことによって得られる美”のような感覚に近いと感じます。思えば、ロンドンでよく見かける日本発のショップは、無印良品ユニクロです。圧倒的にこの2つは店舗数が多く、同じ匂いを感じてしまうのは私だけでは無いような気がします。

 

この日本発のショップは意図的に、どこか禅的な美しさ、を醸し出そうとしているように感じました。世界を豊かにするかどうかはわからないですが、(というより、我々が意志を持ってそれを示していくのだと思いますが)こうした感覚が、海外からは日本をわかりやすく捉えられるかもしれません。